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posted by 所長チャン
 
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きっかけ。のつづき。
このブログのスタートの記事で、「きっかけ。」と称して、いろいろ書きました。
「震災を経験して」なーんて、カッチョイイことを書きましたが・・・。

なぜ、こんなに身を粉にして、家造りをしているのか。
なぜなぜ、こんなにお施主さんのご要望にお応えすべく、動くのか。(←自分では、そう思ってるツモリ・・・)
なぜなぜなぜ、こんなに・・・などなどなど。

なぜかって?
それは・・。

しょーらい自邸を建てるときに、参考にするからですよぉ~!

ホレ、よく昔から、「家は三回建てないと、本当に納得のいくものは出来ない。」といったものです。

で、よくよく考えると、
1.だいたい一生に一度建てられるかどうか、なんつう「家」っていうものを、三回も建てる経済力は、私には、ナイ。
2.そしてそんなに経済力のあるダンナを見つける!という可能性も、残念ながら期待デキナイ・・・。

じゃひとんちをつくって
勉強すればいいんじゃ~ん!!!(☆゚∀゚)!!!

すげぇ名案じゃね?!

思えば物心ついたころから、週末に新聞折り込み広告のマンションや建て売り住宅、賃貸のアパートの広告だけを抜き出し、
「ここは、私の部屋。ここは弟の部屋。(←たいがいこっちのほうが狭い。)
うーん、このキッチンだったら、ちょっと暗いかも。こっちにも窓が欲しいなぁ。」
なーんて妄想するのが日曜の朝のお決まりになっていた私。

大学の進学先を決めるときも、
「どーせ4年間ベンキョーせなあかんのやったら、将来役に立つ勉強がええかもなぁ。」
(←基本、関西人なので、ガメツイ。)

若かれし乙女だった私は、「いつかケッコンして、そして家を建てる」なんてことは、
必至のことだと、当時は思われ。
まるで小坂明子の歌う、
「真っ赤なバラと~♪白い~パンジー♪子犬の横には~♪あな~た~♪」状態。

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posted by 所長チャン
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[私の歴史
きっかけ。
10数年前の阪神大震災で、私の実家は、ボロボロになりました。
震災直後は、目の前に広がる信じられない光景を前に、命があったこと、また、家族が無事であったことを、ただただ感謝するだけでした。

数日後、震災後、神戸の建物は、
赤(倒壊の危険アリ・近寄るな)
黄(半壊。補修すること)
緑(安全。)
のいづれかが役所の人によって判定され、その紙が建物に貼られていきました。

私の家に貼られたのは、赤紙。
全壊判定でした。
「倒壊の危険アリ。近寄るな。取り壊すこと。」

幸い怪我もなく家族みんな無事だったものの、ローンも残り高校生の子供を持つフツーのサラリーマンの家庭には、また家を建てかえるなんて、とうていムリな話でした。

命があったものの、これからの生活をどうしたらよいものか、途方に暮れるしかない状態でした。

そこへ現れたのが、ヘルメットを片手に東京から駆けつけてくれた、親戚のおじさん。
東京で建築士事務所をやっている、一級建築士。
電車の線路も倒壊しているなか、動いている線を乗り継ぎ乗り継ぎして、この被災地に来てくれました。
建設時の図面を片手に、家の隅々まで見て回り、「なんとか直せる」と。
復興直後で、なかなか手配できない業者さんへの連絡や現場管理、何度も何度も東京と神戸を往復して、なんとか住める状態に直してくれました。

そのおじさんの様子は、ただ「親戚が困っているから。」という理由だけでなく、ただただケンチクを愛するものとして、プロとして、自分の出来ることをやっている、という真摯な姿勢を目にしました。

おじさんは、建築の仕事の楽しさを話してくれました。
まだ高校生だった私には、建築の仕事を嬉々として語り、壊れた私の家を毅然とした態度で直してくれた、「建築のプロ」の姿が、それはそれはまぶしく見えました。


・・・、そんなキッカケで、建築に目覚めた私。
それから今まで10数年。(←ハッキリしたことは、言いませぬ。歳がバレるから。ウキョッ)
四六時中、建築のこと、住宅のこと、生活のこと、に思いを馳せてきました。
私のお仕事ブログ「木ごころの現場日誌」では書ききれないたくさんのことを、書いていきたいと思います。

建築って、おもしろいんだからっ。
ってことが、少しでも伝われば、いいな。


posted by 所長チャン
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[私の歴史
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